自分自身と調和している場合と、不調和が起きている場合。ONとOFF。
私達は個々によりいろんな特性があります。
今日はそのような特性と、キネシオロジーテストのONとOFFについて書きます。
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OFFをONにしないといけないのか?
これについては、やはり貴重な意見を聞かせて頂いて、対話をして、そののち一人になったあとで私も考えました。
先ずはONにしよう。という常識?について。
常識というのは、一般的なものでは無いでしょう。キネシオロジーというものが「顔を洗う。」というほど一般的ではありませんから。この常識とは、キネシオロジーテストでストレス反応を確めて、バランス調整をするということが身についている方の中での常識でしかありません。
私も先ずはバランス調整しておこうよ! ということは賛成ですし、行います。
しかし、考えるという時に、OFFのままでも十分考えられます。明晰な思考はOFFでも保てます。
これは冒頭に登場した方も同じでした。
そう思って考えてみると、お越しになるクライアントさん達にもある程度その傾向があるような気がします。
私自身の例で言うと、私はストレスケアということを知るずっと以前から心理、現象を脳内で整理整頓していました。
原因と結果というような話なら、原因を特定できていることが多かった。
ただ、ストレス対処法を知らないから、ケアはしていなかった。
それを知った後は水を得た魚のようにどんどんストレスのバランス調整をしていくだけだよね。という初期の段階があり、自分の反応を自覚するのは元々やっていた。
こういった例を含め。
ストレスのど真ん中、泥沼にいても、もちろん不快ではあるんですが、感情にそれほど巻き取られないというか、思考が引っ張っていかれないというか・・・・。いや、反応はしますよ。子供の頃、成長期は山猿ですから思春期クライシスも大いにあり、感情も乱高下しつつ、見るものは見ていた。
乱高下の自分も含めて。
今となっては不快に関わっている時間が短い! (今では本当に不快に関わる時間が短縮されることになり喜びと感謝を感じております。)
子供の頃から、大人が感情、思い込みに巻き取られて、引っ張っていかれるという状態のあまりの強さをみると「なぜ?」と思っていましたが、今は分かります。
おそらく脳の反射の構造が、個々で違うという事を理解しています。
性質と言えるでしょう。
このような感覚は、クライアントさんにも見られていて、おそらく皆様、子供の頃は見ていることと、自分との距離感を認識されたのではないでしょうか?
成長するにつれ、それを学んでいくのですが、見えるものが多ければ多いほど、それぞれとの距離感について学ぶことが多いので、しんどかったとお察しします。
A.全てに対応しようといて燃え尽きてしまう方もいるし、B.もう面倒だからと閉じてしまう方もいるし。
Aは良い人をやりすぎてダウンするようなケース
Bは厭世感。生きているのが嫌になるケース
が挙げられますね。
そういったことを、ストレスのど真ん中、泥沼にいるときも、誰に教わることなく自然のこととして自己分析してしまうタイプがいらっしゃるということです。Aを乗り越えた方も、Bを乗り越えた方も存じ上げています。
クライエントさん達とお話していても、劇OFF、超OFFの最中も、やはり活路を見出す「脳」は動いていていらっしゃる。
巻き取られていないということはこのような事を指しています。
どうやら表層~中層のレベルのストレスは、逃げずに向き合って、感じ切ること事でONにされてきたような気がします。
このようなタイプの方がストレスバランス調整を知り、行うことは、「仕上げ」というような領域なのかしら?と思う事もしばしばです。
元から人生の舵取りを自分でする。とお考えで、進路も頭に入っている。必要なのはそこから先のための燃料補給や船体のメンテナンスがバランス調整なんじゃないかな?と。
ONにして、感情や囚われを一度落ち着かせて思考を働きやすくするというタイプの方は、航海進路・航海地図を毎回確認するか、いまから航海地図を作ろうとしているような感じなのかな? と。
この航海地図に当たるものが「人生観」でしょうか。
人生観という言葉すら、個々によってそれを表している内容が異なります。
一度お考えになっても良いと思います。
私の人生観は、多分幾つかあって、リンク先のブログにも書いたように「大きくなるものはゆっくり育つ」というものはその中の1つです。(https://ameblo.jp/creating-fun-okinawa/entry-12369534380.html)
嫉妬する必要ってあまりない。競争心もあまり必要ない。それが自分の成長になるものならそれでもいいけど。
もう1つ言えることは
かなりHeavyな状態を乗り越えた後のクライアントさん達もいらっしゃるので、ストレスケアとか自分を助ける知識なく自力で乗り越えた方は体験と気づきが深い。そして、やっぱり自分のケアをする方法があるのなら利用してみようとお考えでお越しになる方もいらっしゃいます。
これは生命の危機を体験した方のお話で、既にとある段階まで強制的に上がるしかなかった方なのだろう。というお話も伺います。
私もプチ底なし沼地獄のような体験をしましたので、そこから生還した方のお話の特徴をお察しすることがあります。
目先のことで迷わない。
そんな雰囲気です。
認めて欲しいとか、周りのアレがどうとか、コレが間違っているとか、そういう欲のようなものや自分の価値観と合わないモノへの反応が感じられず、ある意味非常にさっぱりしておられるような気がします。ある種の境界線のようなものをしっかり認識されていらっしゃるように感じます。
この文章を読んで頂いて、「わたし(俺)、この感じわかる!」と思われる方は個人セッションか、セルフケアの講座を受けにいらしてください。
もっと早く生活にこの方法を取り入れたら良かった! こんなに楽になるなんてラッキー! と思う事間違いないです。
セルフケアはこちらの講座がお薦めです。男性ももちろん。
OFFでもON。その上で、ONにする意味は?
先述した、劇OFF、超OFFの最中も、巻き取られず、
表層~中層のレベルのストレスと逃げずに向き合って、
感じ切ること事でONにされているようなこういう方たちにとってのバランス調整の良さは
本来の自分のフィールドを思い出すことに力を発揮すると考えます。
思考は、OFFでもONでも変わらないような方は、それを現実化していく際にバランス調整が素晴らしいパートナーになります。
これはタイプ別 バランス調整効果とでも言えそうな気がします。
体が覚えているシンドイ記憶を解放したい
やはり体はシンドイ時期の記憶があるので、OFFという反応は現れる。
思考は明晰でいらっしゃるので、体からのケアを加えてONになると一層そのONが深い感じがします。
それは表層~中層についてほぼ解決しているから、残るは深層ということに届きやすいのでしょうね。
見ないふりができなかったあなたが享受すべきギフト
ストレスのど真ん中、泥沼にいるOFF中のOFFのままでも、その具体的な対処法はしらなくても、表層のアレコレはおそらく自分でONになるまで見続けたのではないかな。という1つの結論に至りました。
この違いはなんだろう?と私なりに考えておりましたが、自分の深くまで見ることを覚悟したということでしょうか。
私もいろいろな心理について「なんでわかるの? 凄いね」と言われたことがありましたが、それは清濁ひっくるめて見続けた非常に苦しい時期の産物だと思っております。
逃げられなかった。
そうですね、そういった事から逃げられない性質のヒトっているんです。
これこそが「脳」のクセ、性質ではないかと思っています。
実は以前、「しんどくても見る」「考えられる」ということは、生命力だか精神力が強いということに由来しているのだろうか?と推測をしていましたが、これはおそらく「それをしてしまう」という脳の傾向だろうと思うようになりました。
上記に登場いただいたクライアントさん達もこういう脳の傾向なのでしょう。と。
誤魔化せない、逃げられないって、それはそれで割合大変だったりします。
間違った「良かれ」は選択していても、見たい物だけみる。ということが出来ない。見たくないものまでしっかり見てしまうという性質を生まれ持ってる場合があるんです。他人のそれだけではなく、自分のものも見てしまう。自分の方がよく見えるというか。ある意味、自分だけ特別扱いできないというか。
苦しい時は逃げれば良いんだよ。という「逃げ」ができない。
この苦しみを持った方には是非ウチへ個人セッションにお越し頂きたいです。
今までは苦しみを生んだ性質・性格がギフトに変わる瞬間を共有したいです。
自分の感性を健康に保つ
ストレスのど真ん中、泥沼にいる最中の私を見て、「冷静だね」と言われたことも多いのですが、私自身はそんな自分を「失感情症なのかな?」と思っていましたよ。その逆で、その昔、いちいち反応していると邪魔くさいし疲れるから、感情反応点を封印したんですけれど、そんな自然に反した封印などするとやっぱりそれはそれで厄介事を引き起こすんですね。
心と体のバランスがやっぱり崩れる。大きく崩れます。そのまま人生の最後までは突っ走れない。
メンタルもおかしくなるし、体もおかしくなって、こりゃ大変だという域まで痩せたことがあります。(その後、こりゃ服がキツクて大変だという域まで太ったこともあります。)
これは正にわかりやすい自己の不調和。
これを境に、
- 見てしまう、気がついてしまうことを封印しない。
- 怒りや嫌悪感、悲しみを押し殺さない。
- 封印というのは、いつまでもやっているとマズイ。封印から解放へ。
- イイ人をやめる。
- しっかりと感じる。
- 一見それらしい理由をつけて何かのせいにしない。されない。
- 自分の気持ちをすり替えない。
- 「良かれ」も程度問題。
というスキルを磨いていきました。
不調和って凄いものも生み出します。
幻想・妄想・幻聴・幻視もスピリチュアルな能力かと思って思っていたら不調和から起きてる。ってことがあります。
脳はいろいろ生み出しますから、健康な感性ということも調和がとれていることと関連がある。
伸ばさない方がいい能力、使わない方が良い能力もありませんかね?
唐突ですがわかりやすい例としては、人を呪う能力がある。なんて能力は多分人類皆多かれ少なかれありそうですが、その能力を伸ばすことに抵抗がないということはやっぱり不調和と捉えることではないかな? とか、出来るからとそれをしていて調和が取れるとも思えない。
人をコントロールする能力がある。なんてことは、コントロール欲が強い方は持ちたいだろうし、実際に使うかもしれないけど、使えば使うほど自分とは不調和がおきそうです。それをやるのは心の渇きが関係していそうだし、やればやるほど心の渇きが肥大しそうだからそれは使わない方が良い能力ではないか。という人生観を私は持っています。
個々の人生観とも関連しますね。
そういえば、Aさんが以前「それは理論的だね。って言われちゃいました(しょんぼり)」という事がありました。
そう発言された側は脳の仕組みが違ったんだと今は思います。
どうやらその「理論的だね」という言葉には「わかったつもりでしょ?」というようなニュアンスがあったようだという事を間接的に受け取りましたが、そう思われた側は「理論」という事に反応して、感情で答えているような感じだったのかもしれない。
見た目に分かりやすく感情たっぷりの方が好きなのかも知れないし、意見を言われると感じるような状況が好きじゃないという可能性もあるけれど、おそらくAさんに反応というよりも、その「理論的に見える態度」になにかを投影されていたのではないか? と思考を広げてみるけれど、こんなことは推論です。
私とAさんはそういう意味では脳の傾向が似ていて、その「理論」は私にはよくわかりましたし、特になにも感情も動かなかったですとういうか、返ってそうだそうだと共感したんですよね。ですから、私も「あら?なんで?」という感じはしたし、そのしょんぼりは何かちょっと可哀想な気がしたんですが、私もその出来事について何か(概ね自分でしょうね)投影した可能性もあります。
価値観もそうですし、そもそもその価値観を創っているのが脳だとしたら、「相手のことを理解する」「相手の話していることを理解する」ということは脳の仕組みが違うからわからないという理由がやっぱり勢力を持つんでしょうね。
何かを理解する時に、MY翻訳機を通さずには難しいでしょうから、純度100%で伝わる事って無い。なんて説もその理屈がわかるようになりましたよ。伝えたいことって、同じタイプの脳を持った人の方が伝わりやすいのでしょうし、脳のタイプが違うほど「わかったつもり」という現象も起きそうです。
どちらにも感情がありますから、最初から、脳のタイプが違うから まっしょうがないね。と理解されないことが全然気にならないという域にはなかなか到達できないものです。
話が脱線しましたが、
それをあまり気にしなくても良いほどの表現力を持っている方が人気作家さんなのかもしれないし、
ストレスケアでしたら、こちらの記事にも書いたように、ご本人のチカラを賦活する手法がやっぱり有効だな~と再認識しました。
ONでもOFFがある。本能と超自我。
陰極まれば陽に転ず。陽極まれば陰に転ず。
こんな言葉がありますでしょ?
絶対的なONにも、絶対的なOFFにも価値はありません。
どうして、バランス調整と呼ぶのか?と考えた時に
絶対的なナニカが心地よいわけでは無くて、バランスがとれていることが心地よさ、生き易いさ、朗らかさに繋がるんじゃないかな。と。
OFFじゃいけない、ONにしなくちゃという囚われすら、ONになってもOFFを生みます。
出発点を「OFFじゃダメ」から一度外れてみるって大切です。
OFFじゃダメという思いが、ONへの囚われを生む。
囚われからONにしたものは、自己調和ではなく、不調和にカウントされるかもしれない。
本能と超自我という話になって、バランス調整しても戻るということに関わってきますね。

セルフケアでON。自分以外に腕を押されるとOFF。こんなことって多いです。
自分だけじゃなく、人の力を借りて気が付けることの大切さでもありますね。
超自我を優しく迂回してセルフケアが深くまで調整が届くように、「自分でチャクラを整えたい!」講座を組み立てました。
個人セッションでしたら、総合心体カウンセリング™ がお薦めです。
OFFにもONにも意味が無いなら、何のためにバランス調整をするの?
確かにOFFにもONにも意味が無いなら、何のためにバランス調整をするの? という振出しに戻ったような気がしますね。
今の私は、「あなたの心地よいバランスを思い出すためです。」とお伝えしたいし「あなたが望む心地よさを体験するためです」ともお伝えしたい。
時間が経てばもっと素晴らしい表現が出てくるかもしれないので、思いついたら追記しますが、
誰かのモノサシではなく、自分の感じる「心地よさ」「バランス感覚」を思い出し、養い、育てるための対処法。
コーピング法、ツールでは無いかと考えています。
100%いつもONになろう。というのは本当のあなたの希望ですか?
誰かに「私は100%ONなの。」という為ですか?
「ONじゃないといけない」と信じているからですか?
誰が何と言っても自分の心地よさを体験しないことには、バランスってなんだろう?という命題を追い続けてしまいますね。
追い続けたいことがあなたの希望ですか?
心地よさ、生き易さを味わう事が希望ですか?
心地よさもいろいろ
ヨーガの伝統的開祖の言葉に「ヨーガの目的は生きながらに死んだ人になる」というものがあるそうです。
ワクワクでもないですね。
トキメキでもない。
老子の「無為」ということと似ているようですけれど、
これになったらバランスが取れる方と、
こうじゃない方がバランスが取れる方がいるということもそれぞれが体験してみたら良いのではないでしょうか?
調整しないという選択肢
OFF探しという言葉がありますが、OFF探ししないという選択もあります。
人生観もあるでしょうし、このトピックはしばらく調整しない(昔の私はする方法を知らなかったからできなかったのですが)という選択もある。
しばらく調整せずに、もっともっと感じてみるよ。という選択肢もあって、感じ切ったらONになることもある。
思い込みってあちこちにあるんだけど、ONとOFFについての思い込みって何だろうね?ということを書いてみました。
こういった、思い込みとは外れたところでバランス調整をしているのか総合心体カウンセリング™ です。ご利用ください。
最後に
キネシオロジーの先輩との対話が出発点でした。私の人生には非常に有り難い方が数多く登場してくださいます。出来事に吉凶あれど、結果有り難い状態につながっておりますので、ヒトとのご縁に恵まれるという有り難い星の下に生まれているのではないかと思います。
ONとOFFについて対話して、しばらく経ってからナニカ書きたいな~と思うようになりました。何をどう書きたいのかな?と自己対話もした。
書くよ、書くよと宣言していた他の記事の方が熟成されていたので、こちらは後回しになりましたが、他の記事を書きながらも同時進行で脳内で構成が続いていたような気がします。(メモは短く4行位しかないんです。(笑))
ONとOFFについて、いろいろなご意見や受け止め方があるので、皆さんの道を歩かれてください。
ただ、私もこの記事を書くきっかけになったように、「ふとナニカについて考えてみる」という出来事は楽しいものです。
私にはこんな傾向があるんですよね。
内容について
いや違う!と徹底的に反論したくなったとしても私は嬉しいです。それも人間の反応の1つだから。
反論や推考したことなどは宜しければご自分の宝物にしてください。そうしてもらえると嬉しいです。
(2018/4/19)