自分は何も残せない。生きた証がない。と悩んでいますか?

今回の記事より先にアップするつもりの記事がありましたが、こちらを先に完成させます。話が前後したり、その前に記事とのつながりが途切れるかもしれませんがご了承ください。

 

はたと気づいた

読書好き、本好きな方は一度くらいは、「私も本を書きたい」と考えたことがあるんじゃないでしょうか?

私も思いました。

 

で、月日が経ち、このようにホームページのコラムを書いたり、ブログを書いたりして「書く」「世間に書いたものを読んで頂ける機会が与えられる。」社会になった。

 

それでも、書けば書くほど、「本を出したい」という欲求は低くなるわけじゃなくて、書けば書くほどで沢山書いたので、形に残したい。まとめたい。と思うようなることもある。昔の自費出版とは異なる、注文が入ったら印刷して納品するというNew自費出版システムを利用する方も増えた。

出版の敷居が低くなった。

私は何が何でも後世に自分が書いた本を残したいわけではないため、このNew自費出版のセールスも受けましたが、契約はしませんでした。

ということは、私の場合は「出版」ではなくて、「認められて、それが形になる」ということを重視していたわけです。子供の頃は、本を読むのが楽しいから私も本を書きたい。という単純さだったのに、大人になったら自己承認欲求に変化していたんです。ホント人間はこんなものですよ。

そしてまたまた、この欲求も消失し、私は後世には何も残せない。が、現在非常に幸せを感じていて感謝している。ということになった。

こんなことも過去に書きました。

このようにしか生きられない。

 

そして、ついに私ははたと気づいた。

 

おそらく私が出版(自費出版ではなくて、なんらかのオファーを受けたとしても)にこぎつけたとしても、なんの知名度もない私の書いたそれが書籍として読まれるよりも、今現在ホームページのコラムを読んで下さっている方や、ホームページの文章を読んで下さっている人数の方が圧倒的に多いだろうということに。

 

出版熱が消失したら、根本的なことに気がつきました。

自分が書いた文章を皆さんに読んでもらいたいという欲求は、「いつか本を出したい」じゃない方法で既に達成されていて、おそらくそれは、「いつか」の本の読者数より今の時点ではるかに多いであろうというオマケ付きだった。

長い時間 滞在して下さって、ありがとうございます。

私は今はコンサルタントを利用していませんが、そもそも現在のホームページの前身(そう、あの、驚くほど調子が右肩上がりだった時に忽然と消えたこのホームページの前身です(笑))を一から作る際に、短期間コンサルをされている会社の担当者さんがSEOについて概要を教えてくれました。

前身のホームページを立ち上げた当初から、訪問して下さった方のサイトの滞在時間が長くて良い。と評価されていたのですが、まだその当時はコラムは無かった。

カウンセリングや実際に行う手技や、講座についてのご案内のみでしたが、通常よりもホームページに訪れて下さった皆様の滞在時間が長いという事でした。私には基準がないので、(そうなんだ。ありがたいな。)と思うだけでした。なんせテクニックが無いわけですから。

 

で、今のホームページ(前のものを、そっくり引っ越しました)になって、来訪者もお陰様でV字回復しましたが、あの超調子が良かった時の手前を推移しています。

それでも多くの方に訪れて頂いて、有り難いばかりです。

 

そして、現在、ホームページに訪問して頂いた方の滞在時間が長くて、その昔「長いですね。平均は〇分位ですよ」とお聞きした目安の時間の数倍です。

これには私が一番驚いています。

 

が、しかし、コラムも長ければ良いというものではないので、滞在時間稼ぎにコラムを長くするつもりは全くなくて、長くなると(あぁ区切りの良い所まで書きたかったけれども、こんなに長いとちょっと申し訳ない)などと頭によぎっていました。ですから、簡潔に分かりやすいサクッと読めるものを今は目指しています。

一時、自分の脳内を表現したくて少々長いコラムになってしまった時もありましたが、できれば読んでいる方が疲れる?ような長さのものは控えたいと思っています。

 

知りたい内容のコラムが無い。こんな情報が欲しい。という方へ

「こんなことについて書かれているコラムがあれば良いのに」「○○という事に対して、自分とは違う考え方があるなら読んでみたい」と思う方がいらっしゃったらどうぞリクエストください。

こちらのフォームをご利用ください。

個人情報を記入頂きますが、コラムのリクエストを拝見したら個人情報は責任をもって破棄、削除させて頂きます。

 

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後世に「本」どころか何も残せなくても

今現在子供がいないので、この調子でいけば自分の遺伝子も後世に残りません。

出版した「本」も残らない。

このあと、歴史上の人物になるとも想像しにくい(笑)

な~~~~んにも後世に残せない。残らない。

私という人間がこの世に居た事を身内はしばらく覚えているでしょうが、3代前、4代前の身内のことを私が知らないように、身内も誰も私の存在を知らないという将来がくるでしょう。

私のことを記憶に残してくださる知人、友人がいても、その皆さんもいつかはこの世と別れるので、その皆さんの記憶にも残らない。

 

しかしそれで良い。

驚くほど残念感は無いし、サッパリしたものです。

 

そういった、「生きていた証」を残したいという執念がないことは、私自身は楽ちんです。今生きていることに集中できる。

まだ来てもいない将来の心配、それも死んだ後のことを憂慮する人生時間は私には非常に勿体なく感じる。なので、一度、もう徹底的に今生きていることに集中するということに挑戦したら、一体どんな気持ちがするのか?を試しているようなことに結果なっている。自分でこういったことを段取りしたつもりもないんだけど、結果こうなっている。今は。

只今のところは、快適です。途中経過報告としては、なかなか良い。いや、人生のなかで一番良いのかもしれない。想定したこともなかったし、想像だにしていなかったことなんだけど。

 

「自分は何も残せない。生きた証がない。」と悩んでしまう方は、こんな考え方の人間もいるという視点を一度検討してみてください。

今生きている時間を大切に過ごすことの大切さを今一度考えてみてください。

 

幸せって、生きているうちに感じるしかない。

残したものが貴方の幸せに直結するのかどうか?を今一度考えてみて欲しい。

死んだ後のことを私は知りませんので、死んでから、俺(私)の残したものって凄いだろう!と思える可能性も無いとは限らないのですが。

 

関連して、スティーブ・ジョブズさんの伝え聞くところの逸話について以前書いた。

信念と運命

生きやすさの創造を考えてみた

 

 

 

その「自分は何も残せない。生きた証がない。」という思考は、今生きているアナタの承認欲求を満たしたい、満たされていないことに起因しているだとしたら、その欠乏感が満ちてきても同じ欲求があるだろうか?

 

今その欠乏感を減らすことができたら、おそらく承認欲求も減ってきはしないだろうか?

 

文章の前半の私の出版に対しての欲が減った体験からすると、自分が満たされるとアレモコレモという欲求は減ってくることが多い。アレモコレモ欲していたけど、もうどうでもいい。(だって幸せだもの)というような感覚に変わっていく。

不満、欲求、渇望というのは、人間の行動の原動力になることがあるのも確かなのですが、ある程度のストレスケアを併用していると心体が楽です。不満、欲求、渇望があなたの心の奥の佳いモノを濁らさない程度に管理しておくこともお薦めです。

是非セルフケアも含めて、ストレスケアをどうぞ習慣にしてください。

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心体カウンセリング™ について

 

 

自分のケアを続けて頂いた先のとある日に、

「自分は何も残せない。生きた証がない。けれど、今の人生はなかなか良いもんだ。」と思える日が来る確率は上がります。

 

これって、なかなか最強だったりする(^^)

 

生きている=自己承認している と感じられるって凄いんである。

どの位凄いのかを、是非あなたにも体験した貰えたら。と思っています。

 

(2020/09/03)

 

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