優劣のない、ただ在るだけの「愛」

なにかを書いてみようと思った

愛についての真理が分かったわけではありません。

愛の伝道師になるわけでもありません。

ただ、「愛」など幻だと思っていた私が何かを境に「愛」について書けることを書いてみようと思っただけです。

私の中では、人間愛というものは存在したし、人間の温かい心も感じる事があった。それは言葉で愛だ、愛だという表向きのことではなかったし、肉親とか身内とかよりも余程他人様から感じる機会が多かったような気がする。

他のコラムにも書いたりしているけれど、「親が子を想う」という事に対して過剰な美化はしなかったし、かえってただの支配欲と依存をひしひしと感じたりしたくらいだから、おそらくそもそも美化したレッテルを貼るという事が少なかったのかもしれない。

 

それでも生きていれば人さまの心遣いや気遣い、その時の見返りなど考えていない「愛の行為」も感じることができたから私の考える愛はそこまでだった。

そして「愛」というものも変わる。だから、その一瞬の何を「愛」と感じるのかは個々の感受性だし、正解などないし、ましてや私に語ることなどできないと思っていたのが過去の私。

 

心の隙間が消える前、消えたあと

心の隙間があった時も、これは自分でコントロールなどできない「愛の湧出」があった。

そもそもシニカルな思考もあったし、それなりに人間の欺瞞も見たし、体験して、愛というものを追求しようという気持ちなど微塵もなかった。そもそも感覚が判らないし、恋愛ドラマや漫画、映画、小説よりもSFが面白いと感じる私は興味の範疇外だったし。

恋愛ゲームに夢中になって相手を上手く操るとか、騙すとか、手玉にとるとかいう次元の話も楽しくもなんともないし、それを愛って呼ぶんだ。へぇ~ やけに安っぽいね。と恋愛も知りもしないけど高をくくったような心持でしたから そんな私が愛の追及などするわけがない。

しかし、そんな私も、心の隙間を体感覚として自覚していながら「愛の湧出」かと思う体験をした。一昔もふた昔も前の話です。

 

しかし、それはその後、心が満ちた後の私が感じた「愛」とは違う。

湧出ということは体感覚的には同じか、似ているけれど、違うんですよね。

 

その違いは、ふた昔の愛は「酔っぱらう」程度のもので、その後のものは「自分の内側に広がり、定着して安定した」ように感じるものでした。

 

少し前のブログ(https://ameblo.jp/creating-fun-okinawa/entry-12328847852.html)に、

  • 愛に酔っぱらう
  • 愛を感じる
  • 愛が湧き出る
  • 愛が溢れる

これらは違うと書きましたが、あくまでも私個人の感覚の話です。

ただの体感・体験であるので、優劣もありません。ただ、違うな。と思うだけです。

そして、私個人的には、生きているうちにアレコレと感じる事が出来て良かったな。と思っているに過ぎません。

愛が満ちたと感じる前でも、自分以外の愛を感じる事はあったし、それに感動したこともあっただろうし、私自身が無償の愛のような行為をしたことはあった。

それ以上を求める気持ちは無かった。

・・・理由は存在を知らないから。

愛が溢れたって万能薬じゃない

〇〇さえあれば。

特に今書いている「愛さえあれば」なんていう万能薬があるのかどうか知らない。わからない。

私が人生にこんな経験があって良かったな。と思った後だって感情は動く。理不尽だと感じたら反応だってする。https://ameblo.jp/creating-fun-okinawa/entry-12333627922.html

 

湧き出る愛のような感覚を感じずに一生を終える事だって少なくないと思っているし、それが一体なんなんだ?と聞かれれば答えようはない。

それがあるから。それを知っているから。ということについて人間に優劣もないと思っています。

ただ、それを体験したと聞いたら「良かったね」とは思う。

 

そういったことにホンモノがあるとか無いとかは個人が判断したらいい。無いという答えもあるし、有るという答えがあったっていい。

だからこそ、わからない。があったっていい。

私もわからなかったんだから。その時だって湧きおこる愛を感じたことはあったんだから。

 

「肉欲の高まりは愛と勘違いする。」という名セリフをアメリカでヒットしたドラマ「sex and the city」の日本語吹き替え版で見た(聞いた)時は、感動した。英語の台詞がどうなのかわからないけど、その和訳はピッタリ。

でもそれを愛と感じる人も、あとであれは違ったなと思う人もいる。

だからこそ、個々が感じるように感じて、それに解釈をつけるんだと思う。

 

真理などあるだろうか?(哲学上や宗教上、心理学上はあるようですので、この先は各自でお願いいたします。)

 

人間の構成要素として、それの有無で価値が変わるわけじゃない。

ただ、1つの体験だということなんだから。

 

だから、こういった体験は自分で準備することができないからこそ、一つは「運」では無いかと思う。

生まれ故郷を離れて暮らす運や、やりたいことに出会える運だったり、信頼できる人に出会える運だったり。

それが自分の在り方で変わる運ならば「愛が溢れる」ということもあなた次第で変わるだろうし、

自分の在り方とは無関係ならば益々求めたところでどうにもならない可能性だってある。

 

無いものねだりをしたら叶うのか、しないから叶うのかという因果関係自体があるのかどうかも私にはわかりません。

 

 

 

結局それはなんの確約でも約束でもないのかもしれない

よく、○○さえすれば幸せになる。ということが叶っても想像していたような永続的な幸せに繋がらないと言われていますが、

愛さえ感じたら永久に幸せかどうかもわかりません。おそらくモヤモヤすることだって何かはあるでしょう。

そういう意味での「あがり」はないのでしょうね。

 

今はこう思っているけれど「あがり」ということを体験したら また「あがり」というものが人生にはあるんだ!と思うでしょうが。(笑)

ひょっとしたら、その「あがり」は生命が終わる時のことかもしれないですね。

 

実は以前、想像上の「あがり」を求めていたと言えます。それは「悟り」という言葉から私が勝手にイメージしたものですが、努力したら「あがれる」と思っていた。

今の私は、そもそもそんなものを目指さないで、毎日を大切に生きたらどうなの? と思えますが、昔はなんだか目指してましたね~ ですからそれらを目指して、そうなったつもりになっている方をお見掛けするとちょっと分かるような気がします。それを自慢したいような気持というか、隠しきれていない優越感というようなものを。

 

以前はそんなことを感じる時点で違うじゃないか。と皮肉な気持ちがありましたが、不思議とそれはそれで良いも悪いもないと思うようになりました。

自分がどう感じるのか?ということであり、それは今回の「愛」についても同じ。

私とは感じ方が違うかもしれない。一緒かも知れない。そこにはさほど意味はない。

 

今、その状態である。というだけのことですね。

それは私も同じです。私は今現在このような状態である。明日は明日の状態でいる。

とってもシンプルなんでしょうね。

 

私は割とあれこれ考えるタイプでもありますが、こういったことについては、酷くシンプルになってきました。

歳を重ねると過去に想像だにしなかったことが起きるものですね。ありがたいですし、楽しいですし、興味深いです。

 

きっと私は、ずっと知りたかったことをいつの間にか体感するようになっていたんだと気がつきました。

「あがり」とは違いますが、そういえば忘れていたけど、私はこう言った事が知りたかったことの1つだったな。と。

 

愛ってなんだろう?

愛とはなにか?という問いかけに、哲学や宗教も多くの答えをくれるはずです。

有史以来、それはもう色んな方々が明言を残し、追求し、物語を紡いできましたものね。

 

身も蓋もない言葉を書くと、百聞は一見に如かず。

今現在までのあなたが感じることが唯一だと思います。

かつての私もそうでしたが、ちっともピンとこない方もいるでしょうし、有史以来の皆様同様知りたくてしょうがない方もいる。

 

それですべてが解決するかのような魔法の杖的なものではないだろうな。と今日の私は考えています。

愛の真理があるのかどうかもわかりません。

 

人生の秘伝のスパイス・彩りではあるような気がしています。

 

多分近道はない

運なのか? と先述しましたが、愛が湧く秘策もしらないし、近道もしりません。

それが湧いたから あなたにとても素敵な○○をあげよう。という条件なども多分無いです。

 

ただ、人生のスパイス・彩りになるような気がするだけですが、やっぱりそれの影響は私は大きいです。他の方が影響についてなんとおっしゃるのかわかりませんが、私は有り難くて喜ばしいと感じました。

 

過去に苦労したからとか、どうとかいう事すら関係ないと思わせる何かがあるし、何不自由なくずっと生きてきたからそうなるのが早いかどうかも不明。

 

先に貼ったリンク先のブログでは、施術者として云々よりも、人として良かったと思った。と書きました。

誰にもコントロールできないことだからこそ、その起こった現象だけを「良かった」と思ったんですよね。

 

知らなくても幸せ。

知っても幸せ。

 

ただ愛は在るだけ。

 

今の私はこんな風に感じています。(2017/12現在)(2018/03/24 記事を少し手直ししました。)

 

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